セーチェニくさり橋



セーチェニくさり橋は全長375mあり、暗くなると橋に灯る幾千もの電球が鎖のように見えることからくさり橋と呼ばれているという説のある橋です。夜景が美しいことで知られるハンガリーですが、ペスト側からのライトアップされた王宮とくさり橋とのコラボの美しさは特に有名です。

二つの街を結ぶくさり橋

くさり橋|ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り

ハンガリーの首都ブダベストは「ドナウの真珠」と呼ばれるほど美しい水の都です。ドナウ川を境に西側がブダ、東側がペストです。王宮があるブタと商業都市のペスタの二つの街を最初に結んだ橋がくさり橋です。

くさり橋の誕生

くさり橋|ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り

この橋が誕生したのは1849年で、ハンガリーの国民的な英雄セーチェニ・イシュトヴァーン伯爵の提唱・支援により、約10年の歳月をかけて造られました。

この橋の正式名所は「セーチェニ・くさり橋」といい、ハンガリーの発展に尽力し私財を投げ打って作ったこの伯爵の名前から来ています。

テムズ川にロンドン橋を架けたことで知られる設計技師のウィリアム・ティアニー・クラークが1839年に設計し、その後建築家のアダム・クラークが施工にあたりました。アダム・クラークはスコットランド人で後にハンガリーに帰化しています。

建設途中の1846年の時点で「世界で最も偉大な吊橋」と評したアメリカの技師がいたりと、当時の橋の中でも高い評価がされていました。

また橋の両側にはセーチェニ・イシュトヴァーン広場、旧ルーズヴェルト広場、クラーク・アーダーム広場などがあり、彼らの名前が付けられています。

ハンガリーの歴史を語るくさり橋

くさり橋|ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り

橋の建築は15世紀初頭から何度も試みられましたが失敗続きでしたが、1849年の開通ではじめてブダとペストが陸続きになり、ハンガリーのシンボルとなりました。この橋ができた以上にハンガリーの人々の思い入れが深いのにはもう一つ歴史があります。

敗北した自由独立運動

19世紀初頭、すでにハプスブルク家の統治下にあったハンガリーでは、1849年自由独立運動の流れを受けてオーストリアとの独立戦争が勃発しました。追い込まれたハプスブルク家の軍隊は、できたばかりの橋を壊すと脅し、一部を爆弾で破壊しています。結局、ハンガリーの敗戦でオーストリアの新絶対主義の支配下に下ることになります。しかし、橋は11月に開通しました。

第二次世界大戦で破壊された橋

約1世紀後の第二次世界大戦で橋はドイツ軍に破壊されました。その後修復され、1949年の11月に開通式が行われました。現在の橋はその時の物で、全長375m、幅16mあり両岸には一対の塔と4頭のライオンの像が配されています。

ハンガリー動乱と社会主義からの脱却

1956年のハンガリー動乱では、ナチスドイツからハンガリーを救ったソ連軍の戦車が橋を渡り、社会主義と決別したハンガリーが1989年10月23日の新しい歴史の第一歩を踏み出したのもこの橋です。この歴史の一部始終を見守ってきたライオンの像は今も威厳ある姿で静かにハンガリーを見守っています。

ドナウ川夜景クルーズ

くさり橋|ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り

くさり橋とドナウ川の幻想的な景観を楽しむのに素敵なナイト・クルーズがおすすめ。川の水面に映るくさり橋のライトアップも必見ですが、くさり橋、王宮、国会議事堂が美しく輝くイルミネーションは水上体とより一層幻想的に輝きます。

また、ハンガリーの伝統的な音楽や食事付もあり、日本語のオーディオガイドも用意しているものもあり、夜景の美しさと共にハンガリーの歴史も学ぶことができます。

まとめ

橋には歩道があるので歩いて渡ることもできます。ハンガリーの長い苦難を見守ってきた橋は人々の悲しみと喜びをじっと静かに見守った橋ともいえます。ぜひ、息を飲むような美しい景色と共に歴史を感じてみてはいかがでしょう。

ハンガリーの世界遺産 ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り

 

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