サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂



イタリアの世界遺産「フィレンツェ歴史地区」に含まれるサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、フィレンツェの大司教座聖堂。ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂 、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成されます。教会の名前の意味は「花の(聖母)マリア」です。

ドゥオーモ(大聖堂)

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂|フィレンツェ歴史地区 (5)巨大なドームが特徴の大聖堂はイタリアの晩期ゴシックおよび初期ルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルになっています。1296年から140年以上をかけて建設されました。1294年、フィレンツェ羊毛組合が最も高名な建築家であったアルノルフォ・ディ・カンビオに大聖堂の設計を依頼。1296年9月8日の起工式でサンタ・マリア・デル・フィオーレと命名され建設が開始されます。

しかし、1302年にアルノルフォが死去し、建設はいったん中断します。建築責任者の後任として1334年にジョットが指名され、鐘楼の計画を進めますが、彼も建築途中の1337年に亡くなります。1355年に工事が再開され、数名の建築家の手を経ました。中でもフランチェスコ・タレンティは1357年から1366年にかけて東端部を当初のものよりも拡張し、現在の形にしました。1380年には大聖堂の新廊が完成し、1418年にはクーポラ(ドーム部分)を残すのみになりました。

フィレンツェのシンボル、クーポラ(ドーム部分)

photo credit: Duomo via photopin (license)

photo credit: Duomo via photopin (license)

クーポラの完成は、14世紀末からすでに困難が予想されていました。1418年にはクーポラの模型公募がおこなわれ、ロレンツォ・ギベルティ、フィリッポ・ブルネレスキ、ドナテッロらが応募。ブルネレスキの案が採用され、1420年に開始された建設は、1434年にクーポラの頭頂部が閉じられて一応の完成をみます。このクーポラは木枠を組まずに作られた史上初のドームであり、建設当時世界最大でした。

ブルネレスキはクーポラを完成させたものの、クーポラ頭頂部に載せるランターン(明り取りの先端部)については、デザインのみで建築方法を考えていませんでした。新たにランターンを載せる方法についての公募がおこなわれ、ミケロッツォの設計が採用されました。ランターンは1446年に建設が始まり、1461年に完成します。

天蓋の天頂にあるブロンズ製の玉は彫刻家ヴェロッキオの製作。ヴェロッキオの弟子であったレオナルド・ダ・ヴィンチは、ブロンズ球のデザインに係わっていたとの手稿を残しています。

ファザード

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂|フィレンツェ歴史地区 (1)大聖堂西側のファザードはアルノルフォ・ディ・カンビオの設計により、建設と同時に着工されました。完成しないままカンビオは死去し、その後紆余曲折を経て19世紀までファサードは未完成のままでした。フィレンツェの自治体が最初の構想をもとにファサードを再建することを決めて、1864年にコンクールが行われ、エミリオ・デ・ファブリスによる新しいファサードが決定しました。この建設は1876年に始まり、1887年に完成。銅製の巨大な扉は1899年から1903年にかけて製作されました。

内部空間

内部空間はイタリア独特のゴシック様式で簡素となっています。ギベルティらが1432年から1445年にかけてデザインしたステンドグラスや1526年から1660年にかけて作られた大理石の床、そのほかの装飾品をゆっくり眺めることができます。大聖堂付属博物館には、ミケランジェロの『ピエタ』をはじめ、かつて内外に安置されていた彫刻などが収蔵されています。

 

ここで起こった最も有名な事件に1478年のパッツィ家の陰謀があります。パッツィ家とメディチ家の対立が激化し、パッツィ家はロレンツォ・デ・メディチの殺害を計画しました。4月26日、大聖堂での復活祭ミサでパッツィ家の暗殺者がメディチ兄弟を襲います。兄のロレンツォはかろうじて逃れますが、弟のジュリアーノは刺殺されました。

暗殺者らは市民に反乱を呼びかけますが失敗し、暗殺者だけでなく、パッツィ家当主ら100人近くが捕らえられて死刑になりました。この過酷な処分がパッツィ家と結んでいた時の教皇シクストゥス4世を激怒させ、教皇庁とフィレンツェの間で二年に及ぶパッツィ戦争が起こりました。

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サン・ジョヴァンニ洗礼堂

ドゥオーモ(大聖堂)の正面に建つサン・ジョヴァンニ洗礼堂は、聖ジョヴァンニ(洗礼者ヨハネ)に捧げるために建設された八角形をしたロマネスク様式の礼拝堂。11世紀に建設されました。
中世、ダンテをはじめ多くの人々がここで洗礼を受けたといわれています。

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ジョットの鐘楼

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂|フィレンツェ歴史地区 (4)

ジョットの鐘楼は、ドゥオーモ(大聖堂)の隣にあるゴシック様式の鐘楼。高さ約85メートルで、大聖堂と同じく赤、白、緑の大理石で作られています。1334年にジョットの設計により着工され、1359年に完成しました。

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イタリアの世界遺産 フィレンツェ歴史地区

 

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