カーナーヴォン城

イギリス・ウェールズ北部のメナイ海峡に面した、セイオント川の河口に建つ巨大な城とその城壁。このお城はチャールズ皇太子が戴冠式を行った場所としても知られる由緒正しいお城です。宮崎駿監督のアニメ映画「天空の城ラピュタ」の舞台であるお城のモデルとなっています。

グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁」として、1986年にコンウィ城ビューマリス城ハーレックス城とともに世界遺産に登録されています。

カーナーヴォン城とは

1283年の夏にウェールズを征服したイングランド王エドワード1世によって建設されたお城です。彼はこの地を北ウェールズ支配の中心地に定め、大規模なお城を建てました。48年という歳月と多額の資金を投じて造ったお城で、10城あるといわれるアイアンリングの城の内で最大かつ最強の城でした。

また、エドワード1世の指示により居城としての快適さも考慮されています。641個の要塞があることから「城の土地」とも呼ばれています。

この城はエドワード1世が第8回十字軍に参加した時に見たコンスタンティノーブル(現在のイスタンブル)のビザンチン建築の影響を受けています。黒い砂と白い石灰石を使った帯状の装飾も魅力的です。

1285年から1291年かけてイーグル・タワー、クィーンズ・タワー、チェンバレン・タワーを建て、1295年から1301年にはブラック・タワーとクイーンズゲートが造られています。
キングスゲートから入ってすぐ左にはアウター・ウォード、右側にはインナー・ウォードがあり、現在は芝生の中庭です。その周りを8つの塔が囲んでいます。
南側のシャンベレーン・タワーからクィーンズ・タワーは博物館。ビデオ上映もある博物館で、エドワード1世の資料や、18世紀のアメリカ独立戦争についての展示もされています。
西にあるイーグル・タワーからはカーナーヴォンの街を一望でき、その絶景は息を飲むほどです。

カーナーヴォン城の歴史的背景

photo credit: IMG_1170 via photopin (license)

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ウェールズ大公ルウェリン・アプ・グリフィズは、「もしウェールズの独立をあきらめたなら年1,000ポンドの年金とイングランド国内の所領を与える」という申し出を断り、1282年12月11日、策略に陥り戦死しました。彼の弟ダフィズは兄の後を継いでウェールズ独立戦争を続けましたが、彼もまたイングランドの策略にはまり1283年6月にベラ山地で捕まってしまいます。

この戦いに勝利し領地を手に入れたエドワード1世は、ウェールズの抵抗を抑えるため、カーナーヴォン城を築城し、更にスノードニア国立公園を囲む要塞として、コンウィ、ハーレフ、ビューマリスに城を築きました。

北ウェールズ支配の中心地として選ばれた理由は、メナイ海峡へ繋がるセイオント川があり、河岸に位置し戦略上重要な地であったからと伝わっています。かつてこの地には古代ローマ人の砦があり、後にモット・アンド・ベーリー型の城が1090年頃初代チェスター伯ユー・ダヴランシュによって城が築かれました。その城は1115年ごろウェールズ人によって占領され、エドワード1世が来るまではウェールズ人の城でした。

1283年にカーナーヴォン城の建設がはじまり、1323年に現在の城の基礎が造られました。この城もビューマリス城同様未完成の城だとの説があります。

1403年と1404年、オーウェン・グレンダワー軍の攻撃に持ちこたえ、イングランド内戦時代の1646年に王党派の要塞であった城を議会軍が取り囲んで終焉となり、現在に至っています。

まとめ

修復作業が行われたこともあり、現在も中世の趣を感じられるお城です。また、夕景にも定評があり、海を借景に聳える城の姿は言葉を失うほどの美しさです、

エドワード1世が王妃に王子をこの城で生むことを命じ、生まれた王子を将来ウェールズの王子として認めさせたという歴史が残っています。これによりイギリス皇太子の叙任式がここで行われ、プリンス・オブ・ウェールズの称号を持っています。

毎週土曜日にお城の前にある広場ではマーケットが開かれています。もし、時間が合えば訪れてみてください。

「カーナーヴォン城」のデータ

クリックすると地図が表示されます。

   
国名 イギリス
世界遺産名グウィネズのエドワード1世の城郭と市壁
名称 カーナーヴォン城
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