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シュテレンベルク城
(ライン渓谷中流上部)



約200m南東方向にあるリーベンシュタイン城と共に「敵対する兄弟の城」伝説が残るライン河右岸の城です。ライン川下りでは手前がリーベンシュタイン城で左奥がシュテレンベルク城です。現在はカフェ&レストランとホテルとして利用されています。

シュテレンベルク城のはじまり

10世紀後半から11世紀前半には既に城は築かれているといわれています。築城された時の正確な資料は残っておらずはっきりしたことは分かりませんが、ライン渓谷で最も古い城の一つとの説があります。

1190年頃にヴェルナー2世フォン・ボーランデン伯によって再建されました。この時に城の名前が「シュテレンベルク城」と名付けられました。13世紀末まで徴税用の城として使われていました。

シュテレンベルク城の変遷

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1286年にボーランデン家は断絶し、その後シュポーンハイム=ダンネンフェルス伯家が相続しました。1249年には神聖ローマ帝国の対立王ヴィルヘルム・フォン・ホラントの襲撃にあっています。

1290年、ボーランデン伯ヴェルナー4世と対立した義理の甥のアルブレヒト・フォン・レーヴェンシュタイは、シュテレンベルク城の支郭を改築してリーベンシュタイン城を築いています。1295年にシュテレンベルク城は近隣領主のカッツェネルンボーゲン伯かシュポーンハイム伯の抵当に入れてしまいました。14世紀初頭にはトリアー大司教バルドゥーイン・フォン・ルクセンブルクが城郭の半分を所有し、1320年に残りの抵当権を得ました。

14世紀半ばごろ1290年に建てられたリーベンシュタイン城は、ボーランデン家の流れを汲むリーベンシュタイン家たちによる共有相続の城となりました。14世紀半ばに、トリアー大司教は城のリーベンシュタイン側に新たな城壁を築きました。このことで両者の関係はますます悪化してしまいましたが、武力衝突ということはありませんでした。1355年にシュテレンベルク城は最終的にトリアー大司教の所領となりました。

1495年以降、シュテレンベルク城の戦闘力が徐々になくなり、1568年には無人の城となり荒廃していきます。荒廃した城は廃墟となり、修復はされませんでした。

第二次世界大戦後の1966年にラインラント=プファルツ州の管理下におかれた城は、1968年から78年にかけて修復工事が行われ、現在に至っています。

まとめ

隣り合うシュテレンベルク城とリーベンシュタイン城の両者は、武力衝突はないとはいえ対立関係にあったこともありますが、お互いが助け合うことで防御体制を強化していたようです。

ぜひ、隣接する2つの城を訪れてみてください。

ドイツの世界遺産 ライン渓谷中流上部

 

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