photo credit: P1020879 via photopin (license)

リーベンシュタイン城



ネズミ城の先、右岸の山上に2対のお城が見えてきます。その約200m南東方向の25mほど高い位置にあるお城です。「リーベン(Lieben)」=愛という名前を持ち、もう一つのお城「シュタイン(Stein)」=石という意味の城を合わせて愛と石の城という名の城です。

伝説が残る城

photo credit: P1020877 via photopin (license)

photo credit: P1020877 via photopin (license)

リーベンシュタイン城(弟)とシュテレンベルク城(兄)の二つのお城。このお城には「敵対する兄弟の城」の伝説が残るお城です。

2人の兄弟が一人の美しいお姫様を巡って戦い、ボルンホーフェンの教会で殴り殺し合ったという恐ろしい伝説が残っています。しかし、実際この2つのお城は仲が悪かったという事実はなく、隣り合う両城が助け合うことで堅固な防御体制を備えたお城となっています。現在は、ホテルとレストランとして利用されています。

リーベンシュタイン城の歩み

城のはじまり

1284~1290年にシュテレンベルク城の当主フィリップ・フォン・ボーランデン伯の娘婿アルブレヒト・フォン・レーヴェンシュタインによって建てられたお城です。彼の妻の遺領を巡って伯父と対立し、この支郭を改築しました。1294年に城はシェンク・フォン・シュトロームベルクとルートヴィヒ・フォン・シュテレンベルクに与えられ、現在のリーベンシュタイン城と呼ばれるようになりました。

リーベンシュタイン家の所有時代

隣にあるシュテレンベルク城が、14世紀初めにトリーア大司教の所有となりましたが、リーベンシュタイン城は、リーベンシュタイン家とリーベンシュタイン・シュテレンベルク家を筆頭に4家族の共有相続のお城となり分有しました。この城は居住となり増築が行われ、1363年には城門を、1380城壁を築きその後防衛塔まで建築されています。

トリーア大司教がシュテレンベルク城のリーベンシュタイン側に新たな城壁を築いたころから、両者の関係は悪化していきましたが、両者では武力衝突はなかったとされています。

1450年以降はリーベンシュタイン城の共有相続人の数が減り続け、1510年にはフィリップ・フォン・リーベンシュタインが単独で相続し、1592年には無人城となり荒廃してしまいました。1637年にリーベンシュタイン家に相続人が途絶え断絶しています。

城の現在

1637年に城と領地はマインツ大司教家宰ゲルハルト・フォン・ヴァルデンブルクに与えられ、1783年に、ヴァルデンブルク家も嗣子もなく断絶となり、ルートヴィヒ・フォン・プロイシェンが跡を継いでいます。

現在もプロイシェン家が所有し、ホテルやレストランとして活躍しています。

前部分は廃墟のままとなり、壁や塔などがかつての面影を残しています。ホテル&レストランは一番奥にあります。天井は低く狭い部屋ですが、城砦の雰囲気を満喫でき、窓から見る景色は絶景のようです。

残っている部分

・城門

1363年に完成した城郭の南東側にある城門は、中世当時城と城下を結ぶ唯一の出入り口で、木製の橋が架けられていました。現在橋はなくなり梯子が掛けられていますが出入りはできません。

・主塔

城郭の中央にある台座のような岩塊に鎮座する巨大な塔。現在は石の塊になっていますが、どっしりと構えた姿を保ちかつての城の迫力を伝えています。

・ブレムザー塔

1356~1364年にかけて北東側を守る見張り塔として城壁と共に建てられました。現在は上部がなくなり1階部分がかろうじて残っています。

・中庭

城郭の西側にある中庭には、芝生と石畳が敷かれテラスが設けられています。ここからの景色も素晴らしくライン川の風に吹かれながらゆっくり過ごすのに最高の場所です。

まとめ

ライン渓谷の高台に立つ古城ホテル。本館にある騎士の広場はレストランとなっています。太い梁と厚い壁が印象的で、中世のシャンデリアが一層古城の美しさを演出しています。武器や甲冑で装飾され、窓からはライン川が一望できます。興味のある方はぜひ。

ドイツの世界遺産 ライン渓谷中流上部

 

この記事をシェアする



 

こちらもどうぞ!

感想・コメント
感想、体験談などございましたらお願いします!
体験談・レビュー・価値ある情報などは記事内に移動することがございます。皆さまの情報をお待ちしております。

メールアドレスが公開されることはありません。

▲一番上へ

世界遺産を名前から探す