グーテンフェルス城
(ライン渓谷中流上部)
ライン川右岸のカウプの街の背後に「HOTEL」と書かれた建物があります。かつて皇帝が愛した絶景のグーテンフェルス城。13世紀に築かれたトリーア大司教が所有しましたが、カウプの街と共にプファルツ選皇帝に支配されたお城です。現在はホテルになっています。
カウプ城の築城
1200年ごろにライン川を見下ろす丘の上に築城された、ライン渓谷の軍事上の拠点として活躍したお城です。神聖ローマ帝国の意向によりファルケンシュタイン・ミュンヒェンベルク一族の参事官により建てられ、当時はカウプ城と呼ばれていました。
1252年に皇帝コンラート4世の所有のカウプ城は、対立王のヴィルヘルム・フォン・ホラントによって攻囲されましたが落城は免れています。
プファルツ城の築城とカウプ城の役割
城と町の直接の所有者はファルケンシュタイン家でした。この頃同家はライン川を航行する船から税を徴収していましたが、1277年に徴税権とカウプの街をルートヴィヒ2世に譲渡しています。
ルードヴィヒ2世の子、ルートヴィヒ4世は、1326年にカウプ城の眼前にある中州に船の形をしたプファルツ城を築き徴税の拠点を移しました。これでこの城の役目が終わったかのように見えますが、ここからこの城は外壁を建設し増築して、堅固な城へと発展させていきました。このルートヴィヒ4世はこの城が大好きで、度々逗留したことでも有名なお城です。
グーテンフェルス城へと改名
1503年にはじまったバイエルン・プファルツ継承戦争で、1504年にヴィルヘルム・フォン・ヘッセンの軍の39日間に渡る包囲の撃退に成功し、1508年に修復され戦勝の記念としてプファルツ選帝侯ルートヴィヒ5世によりグーテンフェルス城と改名されました。
この城は堅固な岩の城という名を手にしています。
激動の時代と陥落
1620年にはグーテンフェルス城とカウプの町はスペインの名将スピノラによって占領され、1631年にヘッセン群が城を襲撃しました。1635年に神聖ローマ軍が占拠し、1645年はフランス軍が1647年に再びヘッセン軍が城を攻撃しました。この頃は攻撃と所有者移転を繰り返しています。
1793年にはとうとうフランスに明け渡され1803年まで傷病兵の宿営所として使われました。その後1806年にナポレオンによって破壊され、その建材は競売にかけられています。
城から古城ホテルへ
1833年には廃墟となってしまっていた城を、1888年に城郭建築家のフリードリヒ・グスタフ・ハーベルが買い取り、1889年から92年の歳月をかけて修復され現在はホテルとなっています。他の古いお城の建材が用いられています。
お城が再建され、古城ホテルとして利用されているのは本丸部分のみ。外壁から含めるとライン河谷でも屈指の規模を誇るといわれています。
まとめ
船の形をした可愛らしいプファルツ城とは違い、無骨な格好をしたお城ですが頑丈な風体はかつて敵に威圧感を与えていたようにも感じられます。しかし、この古城ホテルからの眺望は素晴らしく美しいといわれています。現在は個人所有なので見学はできません。
「グーテンフェルス城」のデータ
国名 | ドイツ |
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世界遺産名 | ライン渓谷中流上部 |
名称 | グーテンフェルス城 |