仏国寺
(石窟庵と仏国寺)
韓国南東部慶州吐含山(トハムサン)の山麓にある仏国寺は、統一新羅の宰相であった金大城が751年に造営を開始しました。同時に造営を開始した石窟庵が前世の父母のためであったのに対し、仏国寺は、現世の父母のために建立されたといわれています。
仏国寺の焼失と再建
774年に完成した仏国寺は、創建当初は約80棟の建物と現在の10倍の規模を誇る大伽藍を擁し、王都である慶州の守護を象徴する壮麗なものでした。
しかし、1592年に豊臣秀吉が朝鮮に攻め入った際(文禄の役)に、建造物が焼失。石垣や石段などの石造建築物のみが残りました。朝鮮王朝時代に一部再建、修復が行われましたが、現在の姿となったのは1973年のことです。
仏国寺の建築物
再建された伽藍は、焼け残った石垣の上に建てられています。伽藍は、大雄殿、極楽殿、毘盧殿を中心に大きく3つの領域に分かれており、大雄殿は、現世の娑婆世界、極楽殿は、天界の西方極楽浄土世界を、そして毘盧殿は、来世の蓮華台蔵世界を表しています。中心となる大雄殿の一画には、新羅仏教美術を代表する石塔、多宝塔と釈迦塔があります。
大雄殿
極楽殿
毘盧殿
仏国寺は、石窟庵同様、新羅の仏教観を伝え、統一新羅王朝が最盛期だった時代の仏教美術の頂点を今に伝える遺産です。
「仏国寺」のデータ
国名 | 韓国 |
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世界遺産名 | 石窟庵と仏国寺 |
名称 | 仏国寺 |