ブダ城

ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り」として世界遺産に登録されているブダ城は、ドナウ川を見下ろす丘にあります。城壁に囲まれた広大な敷地には王宮や聖堂などが建ち、独立を求めるハンガリー(マジャール)人の苦難の歴史の舞台ともなりました。

ブダ城の王宮

世界遺産・ブダ城の王宮

マーチャーシュ1世の時代の15世紀、 中欧最大の国家となったハンガリー王国ですが、その繁栄は長くは続きませんでした。首都ブダは16世紀にオスマン帝国の支配下に入り、王宮は国王の館から火薬保管庫に転用され、1578年頃爆発炎上 しました。

17世紀後半にハプスブルク家によってプダの町が解放されたとき、王宮は無惨にも瓦際と化してしまったのです。それを蘇らせたのは、ハンガリーを支 配したハプスブルク家の女帝マリア・テレジアでした。

1770年、マリア・テレジアはブダの王宮をバロック様式で再建しますが、 1848年と翌年の革命で焼失。 その後も再建拡張を繰り返し、半世紀後の1904年にネオ・バロックの巨大王宮として生まれかわりましたが、これも第二次世界大戦で破壊。

1950年代に現在の形に修復されたのもつかの間、1956年のハン ガリー動乱で大破し、復旧したのは1980年代に入ってからのことでした。

ブダ城のマーチャーシュ聖堂

ハンガリー王国歴代の王たちの結婚式や載冠式は、ブダ城内にあるマーチャー シュ聖堂で執り行われました。「19世紀最高の美神」と謳われた一人の女性、エリザベートが夫とともに載冠したのもこの聖堂でした。

載冠式の14年前、エリザベートが姉の見合いに付き添ったところ、相手のオー ストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は姉ではなく、エリザベートに一目ぼれし、2人は恋に落ちました。

晴れて結婚した2人でしたが、運命は急転します。エリザベートは、ウィーンの皇室の息苦しさになじめなかったのです。皇室を仕切る皇帝の母ゾフィー大公妃との確執も耐え難く、精神を病んでいきました。美しさを保つための極端なダイエットで栄養失調に陥ったエリザベートは侍医のすすめで、南の国で療養することになりました。

ブダ城の「漁夫の砦」

中世のブダペストでは、ドナウ川での漁業が盛んでした。漁師たちはブダ城内に漁業組合を作り、平時には漁に従事し、有事の際には団結して、ブダ城を守ったのでした。

漁業組合があったマーチャーシュ聖堂の向かい側に、1895年から7年かけて、印象的な七つの小振りな尖塔を持つ見晴らし台が建てられました。この実戦向 けの防衛施設ではない、ネオ・ゴシック 様式の見晴らし台は、場所にちなんで、 「漁夫の砦」と名付けられました。

七つの尖塔は、ハンガリーを建国したマジャール人の七部族を象徴していて、 それぞれの尖塔の一角に、族長の像が立 てられ、マジャール人の民族意識を高め ています。こここからはドナウ川対岸のペスト地区が見渡せます。

「ブダ城」のデータ

   
国名 ハンガリー
世界遺産名ブダペストのドナウ河岸とブダ城地区およびアンドラーシ通り
名称 ブダ城
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