高山社跡
(富岡製糸場と絹産業遺産群)
群馬県藤岡市にある高山社跡は2014年に登録された世界遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」を構成する資産の1つです。
高山長五郎と養蚕業の発展
養蚕業者である高山長五郎(1830年‐1886年)は、清温育という新たな養蚕法を確立しました。ヤグラでの換気を取り入れた、田島弥平による清涼育という方法がありましたが、清温育とは、それに加えて、寒冷地で行われた温度管理を伴う温暖育を取り入れたものです。
長五郎は、高山組を1873年(明治6年)に設立し、自宅で養蚕業の指導の取り組みを開始。その後、1884年(明治17年)に養蚕改良高山社と名前を変え、初代社長に就任し、養蚕業のさらなる発展のために活動を始めたのです。
高山社は、社員に養蚕業のノウハウを教えたほか、授業員を各地に派遣したり、蚕業学校を分校として設立しました。卒業生は養蚕業の指導者的役割を果たすようになり、「全国の養蚕の総本山」と呼ばれた時期もあったそうです。
こうして、高山社が全国に広めた清温育は、標準の養蚕法となっていきました。
しかし、養蚕の研究や教育が本格化すると、1927年(昭和2年)に廃校となりました。
長五郎の旧宅は、高山分教場として、門下生が増えて本部が移転してからも、指導の場となりました。瓦葺の2階建で、住宅と蚕室を兼ね、換気用のヤグラが備わっています。現在は養蚕用家屋や桑の貯蔵庫、長屋門なども残っています。
こちらは、解説員が常駐しており、内部見学も可能です。
「高山社跡」のデータ
国名 | 日本 |
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世界遺産名 | 富岡製糸場と絹産業遺産群 |
名称 | 高山社跡 |