アンコール・ワット
アンコールの遺跡群

アンコール・ワットはカンボジア北西部にあるヒンドゥー教寺院で、「アンコールの遺跡群」のひとつとして世界遺産に登録されました。アンコールはサンスクリット語で「王都」、ワットはクメール語で「寺院」という意味。現在はカンボジア国旗にも描かれている、国を象徴する遺跡となっています。

アンコール・ワットが歩んだ歴史

【世界遺産】アンコール・ワット | アンコールの遺跡群

アンコール・ワットは、12世紀前半にクメール王朝(アンコール朝)のスーリヤヴァルマン2世によって、30年以上の歳月を費やして建設されました。しかし、徐々にアユタヤ朝の侵入を許してしまい、クメール朝はここを放棄してしまいます。

その後、1546年から1564年にかけてアンチェン1世によって第一回廊北面やその付近に彫刻が施されました。そして、ソター王が本堂のヴィシュヌ神を仏像に置き換えます。

16世紀になると外国人による訪問が相次ぎ、1632年には日本人の森本右近太夫一房も訪れています。1860年のフランス人アンリ・ムーオの紹介がきっかけとなり、広く世界に知られるようになりました。

1887年にカンボジアがフランス統治下に入ると、フランス極東学院によって保存修復作業が進められます。

ところが1972年、カンボジア内戦が勃発。ポル・ポト率いる共産党一派のクメール・ルージュによって、アンコール・ワットは破壊され、仏像が首を刎ねられたりなどの蛮行を受けます。

クメール・ルージュは1979年に政権を失いますが、アンコール・ワットに立てこもりました。アンコール・ワットには城郭や堀があり、さながら城のような造りだったためです。また、攻める側としても、カンボジア最大の文化遺産を大がかりに攻撃するのはためらわれました。そのため、内部はさらに破壊されてしまったのです。

内戦が終結に向かうと共に、周辺の地雷の撤去や破壊された建物の修復が、各国の協力のもとに行われています。

アンコール・ワット 伽藍

境内の外周は、東西が約1500m、南北が約1300m、周囲の堀の幅は190mで、西が正門となっています。伽藍に使われているものは、地方独特の鉄分が多く含まれたラテライトと砂岩です。

参道と西大門

【世界遺産】アンコール・ワット | アンコールの遺跡群

photo credit: Angkor Wat via photopin (license)

【世界遺産】アンコール・ワット | アンコールの遺跡群

photo credit: Tower via photopin (license)

参道は540mもの長さがあり、堀を渡ると南北230mの大きさがある西大門に至ります。中心の門はゾウが通れる程の大きさになっています。左右には蛇神ナーガが設置され、門を護っています。

西大門を抜け参道を通ると、前庭へと進めます。ここには南北に経蔵と聖池があり、聖池はその水面に堂宇を映し出すことで有名です。

回廊

回廊は3つあり、第一回廊には有名なレリーフ群があります。第一回廊と第二回廊の間は、プリヤ・ポアン(千体仏の回廊)と呼ばれていましたが、クメール・ルージュによってその仏像のほとんどが破壊されてしまいました。

ここは、本堂に向けて徐々に登っていく仕組みになっていますが、第三回廊はさらに高く、急勾配の階段を上って入らなくてはなりません。古代インドの聖なる山とされる須弥山(しゅみせん)を模した祀堂が建っており、本堂にはかつてヴィシュヌ神が祀られていましたが、現在では仏像が祀られています。

レリーフ

【世界遺産】アンコール・ワット | アンコールの遺跡群見どころは、回廊に施されたレリーフの数々です。インド叙事詩の「マハーバーラタ」、「ラーマーヤナ」をモチーフにしたもの、ヒンドゥー教の天地創造神話である「乳海攪拌」の様子などが端整に彫り込まれています。

 

アンコール・ワットの壮麗さは、言葉を失うほどだと言われています。ただ、とても広く、気候の関係で暑いので、歩きやすい靴と快適な服装で行ってくださいね!

「アンコール・ワット」のデータ

国名 カンボジア
世界遺産名アンコールの遺跡群
名称アンコール・ワット

 

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