オーストラリアの囚人遺跡群は、オーストラリアのニュー・サウス・ウェールズ州、西オーストラリア州、ノーフォーク島内の11ヶ所に点在する囚人遺跡群です。2010年、世界遺産に登録されました。
オーストラリアの囚人遺跡群とは
1788年にイギリス人による入植が開始されて以来、オーストラリアにはイギリスからの流刑の歴史がありました。ヨーロッパ列強諸国はこぞって植民地を拡大していったため、労働力として囚人を投入したのです。加えて、オーストラリアにおいては、先住民のアボリジニたちを強制的に移住させました。
オーストラリアの囚人遺跡群の11ヶ所をご紹介します。
ポート・アーサー史跡(タスマニア州 タスマン半島)
1833年に流刑植民地としての開拓が始まった地です。60棟の収容所がありますが、脱走監視システムが発達しており、脱出はほぼ不可能と言われた厳しい刑務所でした。
1877年の刑務所閉鎖以降は、タスマン半島の美しさを活かし、観光地へと変貌を遂げています。
ソルト・ウォーター・リヴァーの炭鉱史跡(タスマニア州 タスマン半島)
ポート・アーサーに流された囚人の中でも、最も重罪の囚人が地域資源の開発のために働いた場所です。18の独房や坑道は暗く、環境の過酷さを感じ取れます。ここでは1833年から1848年まで石炭の採掘が行われました。
カスケーズ女子工場(タスマニア州 サウス・ホバート)
1827年から1856年まで使用された、女性囚人の刑務所兼工場です。今でも5つの工場と墓地が残っています。囚人たちはここで自給自足の生活をし、労働によって受刑費用をまかなっていたそうです。
ダーリントン保護観察所(タスマニア州 マリア島)
マリア島はタスマニア東沿岸沖合にあります。保護観察所は1832年に囚人の住居として造られました。囚人たちは農業やレンガ、石灰の製造に従事しました。
ブリッケンドンとウルマーズの不動産群(タスマニア州 ロングフォード)
トーマス・アーチャーとウィリアム・アーチャーの兄弟によって造られた農場で、ブリッケンドン農場は弟ウィリアム、ウルマーズ農場は兄トーマスの所有でした。この2つは隣接しており、ブリッケンドン農場は今も農場として存続しています。当時はここで囚人に農業を行わせ、タスマニアの農業の発展にも貢献しました。
ハイドパーク・バラックス(ニューサウスウェールズ州 シドニー)
1818年から1819年にかけて、マッコーリー総督の命によって設立された、政府による初の収容所です。囚人でありながら建築家でもあったフランシス・グリーンウェイが設計しました。
当初は男性囚人の宿舎でしたが、後に女性の保護施設、政府の施設としても使用されました。現在は博物館となっています。
パラマック旧総督官邸(ニューサウスウェールズ州 シドニー)
原形あるものとして、オーストラリア最古の総督の住居です。1788年の入植時から1856年まで、12人の総督の住まいでした。パラマッタ公園内にあり、イギリスの建築様式が導入された建物です。
コッカトゥー島(ニューサウスウェールズ州 シドニー湾)
オーストラリアで唯一、囚人によって建設されたドックです。ここで、船舶の製造や修理が行われ、多くの船を送り出しました。
オールドグレートノース・ロード(ニューサウスウェールズ州 ワイズマンズ・フェリー郊外)
シドニーからハンター地域までの約260㎞に及ぶ道路です。囚人が建設にかかわった主要な公共インフラとして有名です。
フリーマントル刑務所(西オーストラリア州 フリーマントル)
1850年に建設された刑務所で、6万㎡の敷地があります。囚人の矯正に芸術を導入したことが特色で、内部には絵画など美術品が残されています。
キングストンとアーサーズ・ヴェールの歴史地区(ノーフォーク島)
広範囲に及ぶこの歴史地区で、1788年の入植当時から1855年までの囚人移住の経緯を知ることができる場所です。
総督官邸の保護地区
1825年に造られ、1856年からは公的機関として使用されています。
ローランズと墓地の保護地区
1846年に反乱を起こし死刑となった囚人たちが埋葬されています。
クオリティ・ロウ
島に住む役人や将校たちの住まいで、当時イギリスで流行したジョージア建築様式で造られています。その他、ミリタリー・バラックも建設されました。
刑務所複合施設
1835年に建設された3階建ての施設で、973人の囚人が収容されていました。現在は廃墟となっています。
ビーチフロント
スローター湾とエミリー湾がある場所で、エミリー湾の砂浜の浸食を防ぐために植樹が行われました。
歴史を感じる佇まいの建築物が多いため、その背景にあった歴史を知ってから行くと、より感慨深いと思います。一方、現代風の利用もされていて、フリーマントル刑務所は結婚式やファッションショーにも使われているそうですよ。