ディオクレティアヌス宮殿と城壁
ディオクレティアヌス宮殿があるスプリトの歴史的建造物群

アドリア海に残る最大のローマ遺跡がある街として知られるクロアチアのスプリト。旧市街地はローマ皇帝のディオクレティアヌスの宮殿の上に築かれたという珍しい歴史をもつ街です。

古代にタイムスリップしたような不思議な街スプリトは、かつての宮殿をひとつの街として再開発したとても魅力的なスポットです。

ディオクレティアヌス帝とは?

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ディオクレティアヌス帝はダルマティア(クロアチア)サロマで生まれました。284~305年にかけて在位したローマ帝国の皇帝で、軍人皇帝時代を終わらせ、キリスト教の最後の大迫害を行ったことで有名な人物です。

また、彼の両親が元老院議員アヌリアス家に仕えた奴隷でしたが軍人として頭角を現し、元首政から専制君主制に切り替え、四帝分治政を実施し帝国を再建しました。

一兵から親衛隊長官に出世し、ペルシャ戦争で活躍、先帝ヌメリアヌスの死後、軍に推薦されニコメディア(トルコの都市イズミット)で即位し皇帝となりました。

皇帝として活躍した後、305年に引退しています。ほとんどの皇帝が暗殺や戦死する中、彼は60歳で体調悪化のため引退し、その後は10年前から用意していた静かな漁村であったスプリトで家庭菜園などをしながら余生を送りました。

彼は死後宮殿内の霊廟に埋葬されました。313年にミラノ勅令により、キリスト教は公認され、8世紀には霊廟が大聖堂に造り変えられました。

皮肉なことに彼はキリスト教の迫害を行ったことにより大聖堂から遺体が撤去されアドリア海に投棄されたと伝わっています。

ディオクレティアヌス宮殿の歴史

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クロアチアはかつてローマ帝国の一部で、3世紀末のローマ時代に築かれた大帝国です。ディオクレティアヌス帝は自分が余生を暮らす場所として295年から巨大宮廷の建設をはじめました。

311年12月13日にディオクレティアヌスが亡くなった後、宮殿は荒廃してしまいました。

7世紀になるとクロアチア人の先祖であるスラヴ人が、この地方の中心地だったサロマを破壊しました。

サロマを逃れた人々がディオクレティアヌス宮殿で生活するようになり、宮殿の上に建物が造られました。

城壁に家をくっつけたり、宮殿の壁の石を打ち砕いて家の壁に使用したり遺跡を大胆に利用して家が造られています。これが今の街の基礎となっています。

現在はクロアチアの首都ザグレブに次ぐ第2の大都市となり、宮殿内には600人もの人が暮らしています。

神秘的な宮殿跡

旧市街地の宮殿跡は長方形の頑丈な城壁で囲まれ、ローマの軍営をモデルに4つの門と区画が造られています。門を起点に十字に道が作られ、中心にはペリスティル広場があります。

城壁

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photo credit: Croatia-01273 via photopin (license)

宮殿跡の広さは南北215m、東西180mあり、厚さ2m、高さ約20mの巨大な城壁によって囲まれています。東西南北に4つの門があり、そこから宮殿に入れるようになっています。

北西側にあるヴェネツィア支配時代に造られた城砦は、15世紀に増築されたものですが、4世紀の初めに造られたローマ帝国の石の城壁の方が勝っているといわれています。

青銅の門(南)

正門である青銅の門はかつて船で横付けして上陸する海からの入口でした。

この門はひんやりと薄暗い宮殿地下へも行くことができます。また周囲にある回廊はローマ遺跡をそのまま利用しています。

金の門(北)

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かつて主要都市だったサロナの町へ繋がる門として重要な役割を果たしていました。二重の門になっており、4つの門の中で一番立派な門です。門の外にはグルグール・ニンスキ像が勇ましい姿で立っています。この辺りは土産物屋が点在し観光客で賑わっています。

銀の門(東)

アーチが残る門で、露天商や青空市場が軒を連ね活気に満ちています。

鉄の門(西)

時計塔の側にある鉄の門。ナロドニ広場に続く門です。

14世紀以降は政治、商業、生活の中心となった場所で3つのアーチを持つゴシック様式のかつてのヴェネツィア支配時代に造られた城砦のヴェネツィア共和国庁舎も印象的です。

ペリスティル広場

12本のコリント式の茶色の列柱が印象的な、旧市街の中心部の広場です。この列柱はディオクレティアヌス帝が領土だったエジプトから運ばせた装飾用の大理石です。

この広場から皇帝の住居部分の玄関に入れるようになっています。また、エジプト遠征の際、ルクソールから持ち帰ったスフィンクスの像も置かれています。夏にはクラッパと呼ばれる4人の男性がアカペラで歌う音楽も聞こえてきます。

かつての宮殿跡地には宮殿の地下をはじめ大聖堂洗礼室、博物館など見どころがたくさんあります。歴史や文化に触れながらゆっくりと探索したい世界遺産です。

まとめ

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夜になると城壁や大聖堂がライトアップされ幻想的な雰囲気が漂います。旧市街地は何百年も前に敷かれた石畳があり、人々の生活の場でもあります。小さいスポットですが宿泊施設も充実しています。古代と現代が共存する素敵な街へ、ぜひ訪れてみてください。

また、北門の外側に聳え立つグルグール・ニンスキ像は左足の親指に触ると幸運が訪れるといわれています。足に触れて幸運を手に入れてください。

ギャラリー

「ディオクレティアヌス宮殿と城壁」のデータ

   
国名 クロアチア
世界遺産名ディオクレティアヌス宮殿があるスプリトの歴史的建造物群
名称ディオクレティアヌス宮殿と城壁

 

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感想・コメント

  1. アッコ より:

    人類の歴史ってその土地、その土地を移民が侵略・征服していくというくりかえし、カバー、カバーの歴史だったんですね。

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